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昨年の暮れ、親しい釣り友達が亡くなった。その思い出に。
A friend is gone. Lot of our fishing days stay in memory./ Un ami cher est parti. Beaucoup de nos jours de peche restent en souvenir.
水辺の写生帳 23
大鱒釣り
イギリスがEUから離脱するかどうかの投票結果が出た頃、スーさんは本流の広い流れを横切っていった。
天気が良くて、もう本当の夏が来たように、青い空に白い雲が湧き上がっていた。
あたり一面が光に満ちて、はるか上流で大きな瀬がしぶきを跳ね返している。
しばらく続いた雨も、昨日、一昨日の一休みで川はもう透明度を取り戻していた。
それでもまだ平水にはなってなくて、スーさんは最近増えた体重を最大限に利用して、イノシシのようにノッシノッシと渡っていった。
上の瀬に入るようだ。こうして、スーさんと一緒にサオを振るのは久しぶり。
わたしは下の分流に入った。それは左岸の崖に大きくぶつかって渦をつくっている。
遠くから見ると良さそうだったけれど、実際にサオを入れてみると、意外に浅くて可能性がうすかった。スーさんがなぜ対岸に渡っていったのかが分かった。
それで、わたしもスーさんの目指した上流の大きな瀬に入ることにした。
幅の広い瀬で、両側から釣っても問題はないだろうし、スーさんも許してくれるだろう。
こちら岸を上がってゆくにしても分流は渡らなければならず、簡単に見えたが、途中で足が止まった。
深くなって、水流が強い。
そこが正念場で、ひと呼吸ほど気を落ち着かせて、腰に力を入れ、足を踏ん張った。
二歩ほど我慢すると、急に楽になって、芦の根元に辿りついた。
それから、深い芦と、河原の石の間を上流へ歩いて、荒瀬の下、スーさんの対岸へ出た。水深はたっぷりあるし、お互い七、八十メートルは離れているから、相手の魚を追い込むこともないだろう。
スーさんは投げてはスイングを繰り返している。それを見て思いだした。
なんでスーさんが本流を渡って行ったかを。
スーさんは左ギッチョなので、少し開けた右岸のほうが都合がいいのだ。
私のほうは、張り出したヤブでバックがとれないが、左岸は右ギッチョには不満はない。
最近覚えたスカジットなんてやつで釣りだした。
時々、後ろへ振りすぎるとフライがヤナギの枝にかかる。
対岸でもスーさんが同じことをやっている。
そのうち、距離が掴めてきて、それもなくなった。
水流が強いからと、スーさんはラインを換えてタイプⅢにしたのを知っている。
わたしはリーダーを長くして、コーンヘッドのついた重いフライを選んだ。
そうして、ただロッドを振って、ラインを伸ばす。
先でうまく泳いで鱒を誘っているに違いないフライの働きに耳をすます。
トビがわれわれの様子を見にくる。空気の中に水と森の匂いが混じり、そして太陽はどんどん頭の上に高くなっていった。
向こうでスーさんのフライが底石に掛かり、スーさんはおどけて、大物が掛かったような演技をした。
こちらを見てニコニコ笑っている。
その時、突然、スーさんと数々の川を巡った何十年か前の日々が甦ってきた。
二人で少しずつ川の秘密を探りあてようとした若い日々。
明日のことなど考えもしないで、テントと寝袋だけを持って過ごした、高速道路と林道、峠道と深い谷。
柳の若葉が風に震える広くて白い河原や、深い緑に沈む大きな淵、イノシシのヌタ場の横で過ごした月明りの夜。
行く先も決めずに毎日の思い付きで巡ったアルプス周辺の谷、日本海沿岸の川、そして毎年恒例になった北海道での釣り。
生まれも仕事も生活環境もまったく違うのに、魚を釣るという行為だけがそうして二人を結びつけた。
それから、それぞれの仕事が忙しくなったり、生活の変化があったりで、なかなか会えなくなったり、一緒に釣りにいくことがなかったりした。
年を取るにしたがって、それぞれの社会とのかかわり方にも違いができて、それぞれ別々の意見を持つようになったりした。
しかし、こうして、大きな流れに立って、太陽と草いきれの中で二人してサオを振っていると、そんな現実の問題などまるでとるに足りないことで、イギリスのEU離脱などドーデモよくて、二人して青春の光を取り戻し、この流れの中に潜んでいる大きな鱒を探りあてることが人生の目的であるかのように思えてきた。
その流れの中で、大鱒はどちらのサオにも引っ掛からなかったが、それもドーデモいいことだった。
柴野邦彦 プロモビス 水彩画 フライフィッシング
kunihiko shibano promobis Watercolor Fly fishing