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I   イワナ釣り

 

日本の渓流にはイワナがよく似合う。

ヨーロッパのイワナ属は深い湖の底に住んでいて、あまりフライフィッシングの対象にならないから、日本のイワナは日本のフライフィッシングの特徴を象徴する魚と言えるかもしれない。

山に分け入ってイワナを釣り、それを売って生計をたてた職漁師は手返しのいいテンカラを釣法としていたので、それはまさしく日本のフライフィッシングの原点だろう。

毛鈎で魚を釣ることがフライフィッシングならば、サオの手元にリールがぶら下っていようと、いなかろうと区別などしなくていい。

リールのついたロッドを西洋かぶれと毛嫌いすることもなければ、リールのついていないサオを馬鹿にする必要もない。
ヨーロッパでもリールが広まるまでは、日本のテンカラと同じような道具立てで釣りをしていた。

その後の欧米における釣具の進化と日本のテンカラ仕立ての不変に関しては、市場の要求の違いもあるだろうが、技術に対する取り組みの考え方の違いもあるような気がする。
 西洋の古楽器、リコーダーと呼ばれる縦笛は尺八のように木製の筒に穴を開けただけの単純な構造だ。しかし、これだけでは出せる音に限界があり、より上の音やより低い音を出そうとすると穴が足りなくなる。穴の数を増やせば指が足りなくなる。

そこで穴を増やして、それを抑える蓋をとりつけ、一本の指でいくつもの穴を一度にふさぐことのできる構造をつくりあげた。そうした複雑な構造をつくるには木製では不便だというので金属製にし、縦よりもたくさんの音が出やすい横笛にした。

それが現在のフルートである。それに対して、日本人の精神構造は〈出ない音は出るように修行をせよ〉という方向を選んだ。尺八は変化しないことを美徳としている。しかし、驚くなかれ、この単純な楽器でバッハを演奏してしまう人がいるのだ。
 そこで考えると、テンカラにも同じような精神構造が働いているのではないかと思うのである。

どう頑張っても、その遠投性能や汎用性においてテンカラ仕掛けはフライフィッシングの道具には劣る。

しかし、性能において劣るということがその存在価値を否定することにはならない。

適材適所というものがあり、蚊を殺すのにバズーカ砲は必要ない。

テンカラはヌキテやノシなどの古式泳法のように優雅にその道を歩めばいいのだ。

パラシュート・フライだの、2番のフローティング・ラインなどを取り入れたりせず、昔のままにバイスも使わないで作る毛鈎で、そんなものでこんなものが釣れるという驚くべき釣法を引き継いでいけばいい。

アメリカ製のフィッシング・ベストなんか着なくても、シャツのポケットに馬素を巻いていれ、財布の間に挟んだ5本の毛鈎があれば一日中谷を跳んで歩ける軽快さは他の全ての不利と差し引きしても、なにものにも換えがたい輝きを持っている。
 それでこそ、イワナ釣りにはテンカラがよく似合う。

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