J 情報
いつの頃からか、魚釣りで重要なのはウンでもコンでもカンでもなくなって、いかに情報を手に入れるか、という情報を手に入れ、そこらじゅうのウワサをかき集める夜中の作業になってきた。
むかし、魚釣りはウン、コン、カンといわれた。
ウンは運、こればかりは神頼み。
コンは冷たい水の中に立ちつづけ、眠気でもうろうとなる意識をふるいたてサオを振りつづける根気。
そしてカンとは、ヒョットして魚はあっちのほうにいるのではないか、と疑う瞬発力。
それらは釣れない釣りをやっている時のオマジナイだったのだ。
今では、道具も技術も、サカナが可哀相になるほど進歩してしたので、あとはサカナさえ見つければいい。
管理釣り場へ行けば、サカナは間違いなくいるのだが、それでは物足りない。
自然の川で、しかもサカナがたくさんいるところが理想なのだ。
そこで、そんな場所を光ケーブルや、電光掲示板の上に探すことになる。
早く探して、早くそこへ行かなければならない。
たくさんの釣人が同じ情報で同じ場所へ集合するからだ。
サカナをたくさん釣ることで商売がなりたっているフィッシングのプロは、どの漁協が何日の何時何分に、どの橋からヤマメの成魚放流をするかの情報を手に入れるための特別なネットワークとノウハウを持っている。
そして、魚釣りの理想郷のような写真を演出するのだ。
たしかに、情報は釣果を保障し、安心を約束してくれる。
けれども、それと引き換えに知らない川を歩く緊張や、期待、不安や興奮を奪ってしまう。
だから、最小限の知識で未知の川に向かう時、自分の五感と第六感も使って見つける、あるいは出会う、あたらしい驚きは新鮮な感動をよぶのだ。
サカナは釣れないかもしれない。
あるいはマーメイドを両腕に抱くことになるかもしれない。
そうした、魚釣りのもつ本質的な不確実が釣人を川へ向かわせるのではなかろうか。
そうした川ではやはり、ウン、コン、カンは必要で、自分のおぼつかない能力を一滴残らず搾り出して、はじめて充実した一日が生まれるような気がする。